ジョアン・ミロ
 
Joan Miro′
 

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 略歴
 
1893年 バルセロナに生まれる
1907年 バルセロナの商業学校に通う
     同時にラ・ロンハ美術学校で学ぶ
1910年 両親の希望でダルマウ・オリベラス商会で簿記係として働く
1911年 仕事になじめず身体をこわす
1912年 バルセロナのフランセス・ガリ美術学校で学ぶ
1913年 聖ルカ美術サークルの素描教室に通う
     建築家アントニオ・ガウディに会う
1918年 バルセロナのダルマウ画廊で最初の個展をひらく
1920年 パリに最初の旅行。ピカソに会う
1922年 9ヵ月を費やして初期の代表作「農園」を制作
1924年 アンドレ・ブルトンによってシュルレアリスム第1宣言発表
     ミロもシュルレアリストのグループに参加し、作品においても大きな転換期を迎える
1925年 パリのピエール画廊で個展をひらき、大成功をおさめる
1926年 マックス・エルンストと共に、ディアギレフのロシア・バレエ団「ロミオとジュリエット」の舞台装置と衣装を手がける
1929年 マヨルカ島のパルマで、ピラール・ジュンコサと結婚。パリに住む
1932年 ニューヨークのピエール・マティス画廊での最初の個展。以後同画廊がアメリカでのエージェントとなる
1933年 エングレーヴィング(銅版画)をはじめる
1936年 スペイン内乱がおこる。家族と共にスペインを離れてパリに住む
1937年 故国スペインの悲劇がミロのテーマとなる。パリ万国博覧会のスペイン館のために大壁画「刈り入れ人」を制作
1940年 代表作である「星座」シリーズの制作を開始
     スペイン・マヨルカ島に移り住む
1942年 バルセロナに戻り、主に紙に描く
1947年 初めてのアメリカ旅行。シンシナティのテラス・ヒルトン・ホテルのために3×10mの壁画を描く。エメ・マーグに会う
1949-51年 バルセロナに住みしばしばパリを訪れる。主にエングレーヴィング(銅版画)とリトグラフを制作。たくさんの詩人の本の挿絵を手がける
1954年 ベネチア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞
1956年 マヨルカ島パルマ市の近く、ソン・アブリネスに移り住む
1959年 パリ、ユネスコ本部の陶板壁画でグッゲンハイム国際賞受賞
1962年 パリ国立近代美術館で大回顧展
1964年 フランス、サン・ポール・ド・ヴァンスに開館するマーグ財団の庭園『迷宮』のために彫刻や陶器作品をセルトやアルティガスと共に制作
1966年 東京国立近代美術館で日本で最初の大回顧展。(京都国立近代美術館に巡回)ミロ夫妻初めての来日
1969年 大阪万国博覧会のガス館のために陶板壁画をアルティガスの協力で制作。その設置のために二度目の来日
1975年 バルセロナのモンジュイック公園に、セルト設計の「ジョアン・ミロ財団ー現代美術研究所」(通称「ミロ美術館」がオープンする
1978年 マドリッドのスペイン現代美術館で大回顧展
1979年 バルセロナ大学より名誉博士号を贈られる
1983年 マヨルカ島、パルマの自宅にて死去